御岳山について(1)集落と都道の話

 突然、独りで御岳山に登りたくなりました。そして、思い立ったら吉日なのでその日に御岳山に登ることにしました。


 「どうせ御岳山に登るのなら」と思い、御岳山をケーブルカーのある御岳駅側(北側)から登るのではなく、あきる野市側(南側)から登ることにしました。あまりにも急で、ほとんど準備をしていなかったので、最低限の装備しか持っておらず、山に登るのにも拘らず登山靴ではなく運動靴、リュックのキーホルダーは鈴ではありませんでした。しかし、三国峠の蛭による悲劇の光景が脳裏をスッと横切ったので、蛭よけグッズ(食塩入りの壺)は持って行きました。




より大きな地図で 御岳山に登ろう を表示



 出かける前の僅かな時間に、インターネットで情報収集を行い、休日運転を行う中央線の快速電車の車内でその日のプランを頭の中で組み立てました。そして、立川駅青梅線に乗り継ぎます。青梅線のドアが半自動式(ドアの開け閉めが手動)で、都会から来た方々がその扱いに困っているところを多々見かけました。ドアの開け閉めが半自動式なのは冷暖房の節約をするためだそうです。

 拝島駅五日市線に乗り継ぎました。五日市線は全線単線で、レジャーで有名な秋川という多摩川の支流に沿って走っています。そのためか、乗客のほとんどがレジャー客で、ここでもドアの扱い方に困っている光景が見られました。
 武蔵引田という終点から二つ前の駅を過ぎると田舎度が濃くなり、終点の武蔵五日市駅はまさに山間部の地方都市の中心駅という感じになっていました。


 武蔵五日市駅からは御岳山の入り口のある十里木という場所までバスを使って移動します。車内にはたくさんのレジャー客が乗車していました。そのためか車内では、彼らがこれから行くと思われる御蕎麦屋さん、キャンプ場の話、恋愛の話や世間話なども聞こえました。また、地元の御客さんは中高年の方が多いようでした。途中には戸倉や五日市といった聞き憶えがありそうな地名があります。
 バスは秋川渓谷に沿って進みます。ヘアピンカーブでは吊革につかまった人がグルンと揺れていました。車窓は上高地のアクセス路の国道158号線の島々集落付近のものとそっくりでなんだか懐かしくなりました。


 武蔵五日市駅を出発して15分、ようやく十里木の交差点に着きました。右の都道201号線に進みます。また、正面にはデカイ看板があります。どうやら鍾乳洞の宣伝のようです。鍾乳洞の宣伝看板はとにかく大きいです。
 この時、ちょうど12時06分、すでに一日の半分が過ぎていました。多摩川沿いにある御岳駅に17時半に着く予定です。ちなみに、十里木から御岳山の山頂付近、そして、山向こうの御岳山のふもと(御岳)までは一本の都道201号線だけで行けます。
 ちなみに、この近くには、あきる野市が戸倉・十里木地区の活性化を目指して25億円で建てた秋川渓谷瀬音の湯があります。どうやらアルカリ性が強いお湯でお肌がすべすべになるらしいです。






 今回の地図です。十里木→上養沢→御岳山→御岳駅の順に南側から歩きます。


 あきる野市五日市町秋川市が1995年に合併して誕生しました。人口は2013年(平成25年度)81,818 人、世帯数は33,795世帯です。ちなみに、2005年度(平成17年度)80,675人、世帯数は30,934世帯と、2013年はこの年と比べて1143人、2861世帯増加しました。また、兵営25年度の年齢別人口集計表を見ると、働き盛りの35〜45歳代と年金暮らしを始める60〜70歳代(66歳は除く)の人口が多いです。また、あきる野市は山間部(おもに旧五日市町)と市街地(おもに旧秋川市)に分かれています。





 ピンク色の小柄なバスが走っています。このバスは上養沢という御岳山の南側の麓から武蔵五日市駅を結んでいます。また、左側には秋川国際マス釣場の宣伝パネルがでかでかと置いてあります。

 この都道201号線は140mlで通行禁止になります。これは杉並区や奥多摩町の一部で大雨注意報が発令される程度の雨量です。この道をずっと行くと御岳山に着くので道に迷う心配がありません。



少し行き、秋川をまたぎます。

下流

上流側。ここもレジャー客でにぎわっています。お昼時なだけあってバーベキューをしている人が多いです。


都道沿いの集落にあった現役の郵便ポスト。あきる野市内には、これと同じものが幾つかあるそうです。





沿線は新緑の5月だけあって、木々も動物たちも活動が活発になっています。


 左側に見えるピンク色もしくは紫色の花は藤の花です。ちょうど満開で、いくつかの山の一部が紫色になっていました。眼下に見えるのは養沢川です。ちなみにこの道はこの川に沿って走っています。

 この写真を撮っていたときに、目の前にブヨらしき大きな虫が目の前にやって来て、ものすごく驚きました…  ヒル対策はしているのに、ブヨ対策はしていなかったのです。刺されたら嫌なのでその場を去りました。


ガチガチになった法面は落石予防のためです。




さらに、都道を北上ます。

 都道沿いに不法投棄によって汚染された一角がありました。看板があるのにこの有様です…。
 たった一人がある場所に少しでもごみを捨てると、そこにごみがどんどんたまります。さらにごみがたまり、そこはとても汚く、臭くなってしまいます。そして、汚く臭いので誰も近寄らなくなってしまうので、さらにごみが溜まる… という悪循環の話があります。


ヘキサは無いけど… これは有ります。






 橋をまたぎ、軍道という集落に入ります。ここから、片側一車線でなくなります。どうやら、看板を見るに、この辺りでは通学路のようです。


 都道の脇には、ちょっとした堰もあります。また、この近くには138年の歴史を誇るあきる野市立小宮小学校明治6年1873年開校)の校舎があります。「平日になったらこの道は子供たちの声が響くのかな?」と思ったのですが、2012年に閉校していたようです。閉校当時の児童数は17名、小学二年生の学級はありませんでした。彼らは武蔵五日市駅の傍の五日市小学校に移ったようです。
 





軍道の一つ先のバス停にて。次回はここから、終点まで紹介します。そしてあの名所に…!!




誠に勝手ながら早稲田にできる新道(2)の公開は延期させていただきます。すみませんでした。

早稲田にできる新道(1)

 改稿しました。

 皆さんのおかげで今回で100回目を迎えることができました。ありがとうございます。
 このブログを2010年7月に始めて2年と9カ月目でようやく100日更新です。最近、改めて思うことは、毎日必ずブログに記事あげている方がものすごい努力家でいらっしゃることです。勿論このブログはロケ系なので毎日更新できませんが、見習わせて頂きたいです! このブログも初期(最初の数か月)は毎日書いていましたが、今は怠けたり、忙しかったりと月に1〜6回の更新です…  現在のメイン企画は都道探検と町探検。初期のメイン企画の川探検(暗渠探検)企画は不定期・ミニコーナーになりましたが、1シリーズに最低一回は川探検企画登場させます。

 ご覧になっている皆様が、特集している場所を詳しく知っている前提で話を進めてしまうことが多々ありますが、これからも初耳の方でもすぐに内容やその背景がご理解いただけるように、文章を書かせていただこうと思います。脱・内輪ウケを目指したいです。










昔使っていたUSBメモリーの中身を見ていたらこんなものを見つけました↓

 このブログが始まる前に撮った写真。早稲田周辺の神田川を散歩していたら見つけました、道路の卵。この写真は神田川沿いの遊歩道から撮りました。
 ちなみに、神田川井の頭公園を水源とし、杉並区や新宿区や千代田区を流れ、隅田川に合流する大きめな川です。


 地図を広げてみたら、その道路の卵には南北に続き(道路予定地)があることが分かりました。北側は目白台2丁目交差点に、南側は早稲田通りにつながっていました。


 「あの道路の卵はどうなったのかな?」と思い、3月のある日に北側の終点(?)の目白台2丁目交差点に近い、東京メトロ副都心線雑司ヶ谷駅(F10)からスタートしようと思います。



 その時は、あの道路の卵は、神田川南岸側にある都道25号線(早稲田通り)や都道8号線(新目白通り)と、神田川北岸側にある都道437号線(不忍通り)や都道8号線(目白通り)をつなげる補助線の一部だとてっきり思っていました。歩いている途中に分かったのですが、ここは補助線なんかではありませんでした。
 



 道路の卵の正体の前に、不忍通りについて説明します。ここから下に出てくる神田川北岸部・神田川南岸部はこちらが勝手につけた名前です。


 都道437号線(不忍通り)は万世橋交差点(国道17号線)から、千駄木六義園を結び、目白台2丁目交差点(都道8号線)に至っていて、その形はちょうど半円形になっています。
 ちなみに、この不忍通りは東京都市道路計画事業幹線街路環状第4号線の一部分です。東京都市道路計画事業幹線街路環状第4号線は未完成で、予定では、高輪3丁目の放射第19号線(第一京浜)から江東区新砂3丁目の放射第16号線(都道10号線)まで結びます。
 完成しているのは、先述の不忍通り神田川南岸部(都電荒川線都道8号線新目白通り都道25号線早稲田通り)です。また、建設中の区間神田川北岸部(目白台2丁目交差点‐都道25号線早稲田通り)などです。

 つまり、あの道路の卵は、環状線の作りかけの1パーツ、都道437号線(不忍通り)の延伸区間とも解釈できます。



より大きな地図で 東京都市道路計画事業幹線街路環状第4号線の一部 を表示



 今回探検する神田川南北部(目白台2丁目交差点‐西早稲田)は2001年(ちょうど21世紀の始まり)に事業認可を受けました。ちなみに、目白通りを補助第44号線ともいいます。




 雑司ヶ谷駅の目の前にある都道8号線目白通り。この辺りは暗渠や坂道、史跡で有名なスポットで、弦巻川やのぞき坂、学習院鬼子母神などがあります。



ここからは目白台2丁目交差点(東方向)へ向かいます。写真の順番はほぼ、歩いた順です。




 目白台地(関口台地)と神田川の谷底平野の間にある坂。坂の下を見る時は屈んで覗かないといけません。この辺りの坂を登るのも下るのも傾斜がひどくて、車で通るのが大変そうです。ちなみに、自動車の最大安定傾斜角は35度(70%)です。あののぞき坂は13度(23.1%)だそうです。また、坂の傾斜はtangentθ(0°≦θ<90°)が関係しています。

「伊達ってまさかね。」と思いました。しかし、伊達氏の御屋敷は豊島区にはありません。

 不忍通り目白通りが合流する目白台2丁目交差点に着きそうです。都心の幹線道路だけあって交通量もそこそこあります。

 目白台2丁目交差点に着きました。今はほぼ⊥字路で、不忍通りの両サイドには道路予定地として確保している空き地があります。この交差点はたくさんのマンションや住宅に囲まれています。

 南の方向を向くと良い感じの家屋が。ぱっと見た感じでは戦前に建てられたようです。この交差点の南側に新道が出来る予定です。新道は日本女子大学附属豊明小学校の敷地の一部を通る予定です。
 この交差点の南正面(高田1−15)に新道が来る予定です。




ここからは早稲田・神田川南岸(南方向)へ進みます。



 その良い感じの家屋の脇にある坂を下ります。すこし行くと、Y字路になっていて徒歩道と一般道に分かれていました。

徒歩道の方を通ります。

 急坂の下が突然開けました。どうやらここは道路予定地のようです。ちなみに、この区間には、ほんの数件しか立ち退き拒否物件がありません。

 振り返ると、坂の方(北側)を見ると良い感じの斜面が。奥の方には日本女子大学附属豊明小学校や大きなマンションが見えます。

上の写真よりも左側(西側)の斜面を撮りました。


参考:23区内都道検索・閲覧システム
   道路勾配
   坂ミシュラン

 次回は、勝手に神田川川柳大会開催します。あと、神田川の新しい橋の建設現場やあの道の卵の現在の様子を大特集!!

渋谷を一歩引いてみてみよう(2)

 いつの間にか年度末になりました。今回は第99回記念ということで、いつもより多めです。いつもは1記事当たり写真10〜15枚程度ですが、今回は22枚です。前回に続き、中目黒駅から、渋谷駅まで歩いてみました。


 中目黒駅もいつの間にかエスカレーターが出来たり、ホームの先端が少しかっこ良くなったりと1年前と比べてかなり変わりました。



 駅を降りて、60秒。ここは蛇崩川。ここもいつの間にか変わりました。2〜3年前の写真は中目黒と蛇崩川(3)をご覧になってください。

合流端は相変わらずです。





 この後、駒沢通りや槍ヶ崎を通り、代官山駅の東側へと向かいます。代官山駅付近にはとても有名な猿楽橋水路跡(三田用水の分水)があります。
 三田用水について軽く説明すると、元江戸の六上水(玉川上水千川上水神田上水など)のひとつで、北沢で玉川上水から分水され、目黒に向かって流れていました。渋谷区や目黒区付近の流路は山手通り沿い(渋谷水系と目黒水系の分水嶺)にありました。


 谷底の線路は工事中でとてもごちゃごちゃしていました。建屋が線路上に見えます。この建屋は地下化工事の際に使われる予定です。

 線路を渡る歩道橋の西側の階段より。地面より少し高い代官山駅が見えます。ちなみに、東横線のラインカラーは赤色なのですが、駅などにある’東急東横線の行き先表示の看板’などには緑色が使われていましたが、下半期を過ぎて、ラインカラーと同じ色に揃えられました。また、駅ナンバリングも始まりました。


東急東横線の行き先表示の看板’のこと。


 工事期間中は先ほどの歩道橋などが3月16日未明は通行禁止になるそうです。
 日経スペシャルガイアの夜明けの3月26日放送巨大鉄道会社の野望 〜乗客争奪戦の裏側〜の前半戦がこの地下化工事に関するものだったので拝見しました。どうやら、1200人の工事の方がわずか終電と始発の間の205分間(紅白歌合戦の放送時間よりも短い)間で地下化工事を完成させたんだとか!! 詳しいことはシブヤ経済新聞【エリア特集】2013-03-18 1200人が一斉に動く−深夜の代官山地下化切替工事を完全取材もご覧になってください!


線路わきにあるバス通りを北上します。



代官山の踏切(渋谷第一号踏切)のそばには…

 猿楽橋水路の新坂橋。なぜか、道の片側だけにしか残されていません。新坂橋の由来はおそらく、この橋が新坂のふもとにあるからです。この新坂は東急東横線を踏切で越えていますが、その踏切は3月16日以降は東横線が地下に潜る関係で使えなくなります。

ちょうど流路の上にに物置があります。

 谷底を進みます。東横線の白壁が目立ちます。この辺りを走る東急東横線は制限速度が40キロメートル毎時と非常に遅く、下手したら車にぬかされてしまいそうです。地下化工事のため、高架の構造が特殊になっていたので、走る時はガタガタガタゴトンと音が五月蠅く響いていました。例えると、鉄橋や新宿の大ガードぐらいの五月蠅さです。




 このあと、山手線を越える歩道橋を渡たり、都心に入ります。歩道橋の上にはカメラを持った方々がパシャパシャと東急東横線の山手線を越える鉄橋を撮っていらしゃっいました。


渋谷清掃工場の煙突が高くそびえています。

 ここは東1丁目交差点(渋谷清掃工場脇)付近。この辺りの東急東横線は急カーブなので制限速度が40キロメートル毎時と非常に遅く、下手したらそばにある明治通りの走る車にぬかされてしまいそうです。

空き地と畑と高架。この空き地は渋谷清掃工場事業用地です。

 先ほどの畑のマンション1戸挟んだ隣にある空き地。ここも渋谷清掃工場事業用地です。この辺りには有名な並木橋駅跡(戦後すぐに廃駅)があります。並木橋駅跡は東急東横線の最後尾に乗っていると分かったのですが、駅跡と思われる場所だけ高架の構造が違いました。 


 猿楽橋というJRの線路を越えるための陸橋の下にある高さ2.2メートルのトンネルをくぐります。トンネルを出てすぐを右(東)に行くと並木橋です。この日は春先なので暖かかったのですが、日陰は寒かったです。


新並木橋から並木橋渋谷川を撮りました。



 渋谷川と工事中の高架。奥には咲きそうなつぼみを付けた桜の木が見えます。この桜は春になるとたくさんの桜の花を咲かせるのですが… きっと切り倒されるでしょう…

 以前、知人が「明治通りの直下にある新渋谷駅(地下)につながるのなら、清掃工場わきの急カーブが緩くなって(カーブの半径が広がるため)、制限速度が上がるんじゃないの?」と言っていましたが、その急カーブの直下にトンネルが造られるので、それほど制限速度は変わりませんでした。ちなみに、それ以外の場所は上がりました。


高架の下。

線路のわきの道を通ります。なんだか薄暗いです。


わずかな水量の渋谷川から見える渋谷の空。この日は昼から薄暗い天気でした。




渋谷の地図が更新されました。


次回は3年ぶりにあの場所に行きます。

渋谷を一歩引いてみてみよう(1)

 文章に誤りがあったので直しました。前回の主な写真は2010年の6月ごろに撮った写真で、1年と半分立っていますが、あまり変わっていないような気がします。


 渋谷駅地下化工事について書かれいらっしゃるブロガーが大量にいらっしゃいます。ですから、よくあることを書いてしまうと埋もれてしまい、「なんだ…こんなのあの人のブログで読んだ内容とほぼ同じ内容じゃん。つまんないの…」と言われてしまいます。そこで差別化を図るために、利用客独自の着眼点(?)でマイナースポットを紹介したいと思います。ちなみに、他の方と比べて圧倒的に鉄道(特に車両)の知識が乏しいのでそこはあらかじめご了承ください…


渋谷駅に入ります。こういう写真はたくさんの方があげていらっしゃいます。


 大階段前のエントランス。左側には東急百貨店東横店、こちらも3月31日で閉店する予定です。78年の歴史だとか… お疲れ様でした。



 大階段を2階から見下ろしてみました。東横線が地下に移ってからは人通りが少なくなりました。今は主に銀座線やヒカリエの利用客が使われいます。



 自動券売機の運賃のパネル。このパネルはおとといで最後でした。当駅から横浜まで260円、湘南新宿ラインではJR渋谷駅からJR横浜駅まで380円。また、所要時間は東横特急湘南新宿ライン特別快速です。つまり、東横線のほうがお得です。ちなみに、湘南新宿ラインの普通は特別快速より2分程余計にかかっていしまいます。

そして今は… 真っ白!! 




 ポスター3連発!! これらのポスターは17日現在も渋谷駅構内に貼ってあります。一枚目のポスターの下部に要注目です!
 ちなみに、山手線や埼京線湘南新宿ライン、銀座線、京王井の頭線の乗り換えは新9出口を使った方が便利で速いです。なぜなら、階段も広く、埼京線湘南新宿ラインや山手線(真ん中あたりの車両)に乗るのが便利な中央改札マークシティー、銀座線ホームに近いからです。なので、1〜2号車付近の階段を使ったほうが良い、つまり、1〜2号車に乗った方が良いといういことです。2番目のポスターには1〜2号車付近の階段は田園都市線に乗り換えるのに便利だと書かれていますが…
 2番目のポスターに書いてあるように、9〜7号車に乗車して、その近くの階段(かなり狭い)を使うと、JR南改札を使うはめになります。南改札は埼京線湘南新宿ラインに乗るのにとても不便なうえ、マークシティー(京王井の頭線のホーム)や銀座線のホームにものすごく遠いのですが、唯一山手線(後ろの方の車両)に乗るのにはとても便利です。説明が下手ですみません… 参考、渋谷駅 構内図 東京メトロJR東日本:駅構内図(渋谷駅)渋谷駅(全体図)京王グループ




2番線と3番線の間の降車専用ホームにあった今日の警戒。大雨の時もあります。始発駅という感じがします。







以前は4つの線路のうち3つの線路(2〜4番線)の先端に花壇がありました。花壇にはきれいな花々がありましたが、


 3月15日は乗客と鉄道ファンと撮影客の混雑整理をするために、花壇に板を敷いて朝礼台のようにして、東急の社員さんがそれの上に乗って、メガホーンを使い大声を出していらっしゃいました。


警備員会議。ものすごい重労働です。ご苦労様です。


 ガードマン並木。一度一人が撮影のために立ち止まると、血管に血栓が詰まるように沢山の人が立ち止まり、とても人の流れが悪くなります。ちなみに、東急の社員の皆さんは黄色いキャップを被っていらっしゃいました。







 不思議なもので何もない線路をとる人がほとんどいませんでした。この1番線は外の歩道橋から丸見えなので、歩道橋にたくさんのカメラマンさんが集まっていらっしゃいました。


 1〜3番線ホームの3両目辺りには水場があり、主にそこを清掃員が使っていらっしゃいました。上部には水飲み専用の蛇口がありますが、人がそれを使っている光景を一度も見たことありません。


 使えなくなった自動販売機。なぜか、Suicaの読み取り部分までガムテープで巻かれていました。電源入っていないんだから、読み取れないよ。


 たまに副都心線有楽町線の車両がやってきます。ドアがホームよりも階段1段分高いので足腰の弱い方は乗るのが大変そうです。上の写真の車両は半蔵門線を走っていたものととても似ています。
 電車の発車時間直前になるとその電車がいるホームのランプが黄色に光ります。


3月ごろから電車が入る時に音楽が鳴るようになりました。調べたところ曲名は’Final approach’。下にのっけました。

おととしの夏(うろ覚えですが)は到着メロディーでコカコーラの曲が流れていました。これも下にのっけました。

 3月になってから(うろ覚えですが…)接近アナオンスが「間もなく○番線に急行渋谷駅行きが8両編成でまいります…」となりました。むりやり「8両編成で」と付け加えた感がとてもします。ちなみに、今年になっていくつかの駅で新たに電光掲示板が設置されました。






渋谷の地図もそのうち更新されることでしょう。



次回は中目黒から渋谷まで歩きます! 三田用水のあの分水も蛇崩川も出てきます。

 

渋谷を一歩引いてみてみよう(序)

 花粉と梅と菜の花の季節になりました。この頃は暖かいや風の強い日も増え、春だなぁと感じることが多くなってきました。さて、 3月、4月と言えば人事異動、番組改編、ダイヤ改正、引越しなどがあります。東急東横線もその例外ではありません。今シリーズが2012年度最後の記事になるかもしれません…

 東急東横線は2013年3月15日をもって東京メトロ日比谷線との直通運転を取りやめ、渋谷−代官山間を地下化し、昨日より東京メトロ副都心線と直通運転を開始します。


 今回は渋谷川から東急東横線を見てみました。ちなみに、ちょっと懐かしいな、これが最後だなという感じがします。あくまでも渋谷川メインに写真をとっています。

JR渋谷駅と東急東横線渋谷駅に挟まれた鋭角ゾーンからスタートします。ここからは南方向にすすみます。


 この辺りの高架下は殺風景で、空き倉庫や空き事務所らしき物件が目立ちます。昼間でも人気がなく壁には大量のいたずら書きが描かれていてちょっと不気味です・・・・

猫が室外機でぐでぇぇ いまはこの光景は見られません。

渋谷川と合流。

樹が茂っています

八幡橋から北方向を望む。

東横線と別れます。

次回から本番です。
3月16日は東横線のライバル湘南新宿ラインダイヤ改正をします。




 

都道427号線(4)

 前回までは淡々と現道の状況にただ触れただけですが、今回はこの都道の新道(?)、都市計画道路補助第128号線を大特集します!! 暗渠も、建設中のトンネルも、未開通の道も出てきます。ここからが本番です。


今回は城山通りにある大きな鳥居が印象的な世田谷八幡宮という神社の近くから始めます。城山通りを西に進みます。


宮坂1−27で急に補助第128号線が始まります。この道は実は分断されているようで…


 前回紹介した小田急線の北側のロソーンまえの道(上の写真)と直線上にありは繋げることができます。もしも、つながると… 世田谷通り(小田急線の南側)と赤堤通りの行き来がとてもしやすくなります。つまり、今まで通り抜け辛かった世田谷区中央部が少し通り抜けやすくなります。



城山通りと別れて南に進みます。



そろそろ、補助第128号線未開通区間が始まります。トンネル工事の白壁が見えてきました。


トンネルが目の前に見えてみました!!


そのまるで大崎高校のトンネル(上の写真)のよう。あのトンネルも学校をくぐっていました。



 補助第125号線の完成図と概要図。完成図を見ると中学校に渡り廊下ができるようです。この補助第128号線の工期は1991年6月から2015年3月までで、895mを24年かけて造るようです。


 上の完成図と同じアングルのつもりで撮ってみました。今はまだまだ完成には程遠いです。このトンネルの北口は烏山川の谷底の桜1−49にあります。


 白壁の隙間にレンズを押し込んで撮りました。結構大きいトンネルです。トンネルの構造は分かりません。近くには、このトンネル工事の工事進捗状況の写真付きパネルがあります。パネルには2012年10月から12月の作業光景や内容が描かれていました。



ここは烏山川の谷中橋、ここも多少リュニューアルされるかもしれません。


 近くにはトンネル工事でできた崖を登る階段があって、そこを上り丘の上に行きます。崖の上から宮坂の住宅街を一望できます。そして、丘の上にはトンネルができた最大の理由、桜木中学校(桜1−48)があります。世田谷区中央部には学校をくぐるトンネルが幾つかあります。 迂回をして南の方に行くと…






 トンネルの上に出ました。いえ、ここはトンネルの上ではありません。ここは擁壁部(道路が地下に潜るところ)になります。今は、平らですが、完成するとここは、トンネルの南口になります。トンネルは烏山川の谷底と同じ標高なので、南口には傾斜があります。


この区間の地図。ちょうど中学校の下にトンネルがあります。


 一般部(地上)、トンネル部(地下)、擁壁部(地下に潜るところ)の構造の説明。トンネル中でもしっかりと歩道のスペースが確保されています。擁壁部には半地下になっている道路と、それを挟む小さめの道の計三つの道があるので横幅が広いです。

擁壁部の具体例

若林陸橋



トンネル完成後も存在すれば日本一短い片側一車線(?)!!のはず… この辺りはおそらく擁壁部の脇6mの道になります。


 このあたりは一般部と擁壁部の境目になる予定です。なんだか補助125号線の建設現場になる前、家々が立ち退きされる前の様子がしのばれます。道が二方向に分かれています。


そこそこ形ができています。遠くに見える赤信号は世田谷通りです。



 世田谷通りにぶつかりました。補助第128号線は世田谷通りの周辺だけ完成しています。
この日は珍しくなにも予定がなかったのでふらっと出かけましたが、かなり良い暇つぶしになりました!



より大きな地図で 都道427号線 を表示

都道427号線(3)

 都道427号線の世田谷区内の狭隘部を紹介、今回は赤堤から下高井戸までを特集します。この区間は地図によって都道のある場所が違うという不思議な区間です。Googleマップを見ると…この都道世田谷線に平行に走る西側の道(線路わきの道)が都道になっていますが、私が使っている街の達人コンパクトでっか字 東京都23区 便利情報地図を見ると…世田谷線からほんの少し西に離れたを走っています。



 前回の狭隘部が終わった地点(松原6丁目交差点)から赤堤通りを約400m西に移動します。ここの辺りでは、都道427号線と指定されている道は赤堤通りと名乗っています。ちなみに、赤堤通り(市道)自体は代田から千歳台の方まで続いています。




 ローソン赤堤3丁目店が目の前にある赤堤交番前交差点(世田谷区赤堤3−12)でこの都道は赤堤通りから北に分かれます。都道に指定されているこの道は片側一車線です。分かれ道。正解は… (ここまで反転)です。両方の道とも同じくらいの緯度で急に道幅がものすごく狭くなっていて、途中まで造って放置された感がものすごくします。 



 まだ成人の日の残雪が残っています。あのときは休日ということもあって、家の周りのほとんどの御宅が雪かきをしなかったために悲惨な思いをしました。交通手段が残雪のためになく、歩いて駅に向かいましたが足元が悪く余計に15分かかり、ズボンの足首まで濡れてしまいました…  バスにも乗ろうと思えば乗れたのですが、どうやら晴天時の2〜3倍の時間がかかり、ダイヤがぐじゃぐじゃだったようです。


人気も車気もない道を進みます。



松原駅前交差点を過ぎると始まります、狭隘部。


 ふれあい赤堤だそうです。緑色の街灯には世田谷区の商店街のゆるきゃら’がーやん’の旗がありました。がーやんはてんとうむしのなんかです。詳しいことは忘れました。


赤松公園(赤松4−10)を過ぎるとまた運命の分かれ道です。右か左か直進か?


 右(東)に曲がるとすぐに北に曲がります。ごく普通の住宅街の人気のない市道と見かけは変わりません。しばらく直進すると…


 交差点にこんな光景が。 日本一短い片側一車線道路という感じがします。本当に短くて長さが30mもありません。実はこの辺りにはここ同じような所が幾つもあります。これらは道が分断されていたり、急に広くなったりしていて、なんだか道路開発の名残や敷設中の道に見えます。。
 この辺りの線路わきの道は歩道付きのタイル畳(?)で歩道には親水設備がありました。この時、電柱にあるプレートは確認しそびれてしまいました… 機会があったら確認しようと思いますが。


また道幅2.0m区間が始まります。


 下高井戸の商店街が始まります。豪徳寺駅前の商店街と同じ雰囲気がします。駅に近くなればなる程人通りが多くなる比例関係があります。




しばらく行くととまた分かれ道があります。今回も右に曲がります。京王線の踏切をまたぎます。




 下高井戸駅前の商店街、右に見える茶色の建物は京王線の下高井戸駅舎です。このときはちょうど歩行者天国で人であふれかえっていました。この商店街の雰囲気は戸越銀座タイプ(?)です。


しばらく進み、左に(北に)曲がります。 そろそろ終わりが近づいてきました。



 奥には国道20号線(甲州街道)と首都高速4号新宿線が見えます。国道20号線に合流するところまでが今回紹介する狭隘部です。この後ほんの少しだけ国道20号線(甲州街道)と重複(1ブロック分)し、下高井戸駅入り口交差点で北に分かれ、永福通りと名乗り始めます。


 最後に甲州街道沿いの玉川上水跡です。川底が遊歩道になっています。玉川上水は江戸時代にできた用水路で、羽村(八王子方面)から新宿まで続いています。