下沼部分水(仮)

さて、ここにあるのは沼部駅周辺の航空写真です。ここで15秒待ってみてください。


あれ、開渠? 線路をまたいでる? 等々力駅みたい。
Yahooの航空写真より


 沼部分水(仮)は大田区付近で六郷用水から分流し、沼部駅付近で東急多摩川線をまたぎ、多摩川に平行に南下し、最終的に大田区嶺町小学校付近で多摩川と合流していました。その流路は単調で、どこの写真も同じような風景ばかりですが、ところどころに開渠や水門、暗渠、その他ゆかりものもあり、アクセントに富んでいます。
 明治時代の地図(東京管内絵図 大田区地図集成に収録)や昭和中期の(地図から見る大田区(1)収録)にこれと思われる水路が書かれている一方、大正や昭和初期の大東京・横浜・川崎三千分の一地形図には書かれないなど、地図によりこの分水の扱いに差があります。
 



ここで六郷用水から分流していました。現在の六郷用水の水路はせせらぎになってしまいましたので、その痕跡は一切ありません。

分流した水路は右手(多摩川方向)に向かって進みます。ちょうど、田園調布南33番地と34番地の境目が流路になっています。川跡が行政の区画の分け目に利用されやすいという話は有名です。


ここがその区画の分け目。少し暗渠テイストな感じがします。ただ、これが暗渠そのものかといわれると微妙です。区境は民家の物置になっていました。


 そしてそのそばには、このミニ橋があります。線路沿いには、水路と思われるスペースも確認できます。肉眼で見たい方は、ぜひ東急多摩川線の先頭車両でかぶりついてください。なお、昭和中期の地図には線路わきの水路、ミニ橋が細い青線(開渠)として書かれています。
 ちなみに、先日の新田川探検の日にこの電車に乗ったところ、この辺りで急に徐行運転を始めました。そこで、チャンスとばかりに線路わきの三角スペースをのぞいてみたら、草の生い茂った細い溝が見えました。また、ミニ橋が思った以上にしょぼいことも分かりました(満願寺の流れほどでない)。


そして流れは東急多摩川線をまたいだ後、暗渠となって少し西に進み、玉堤通りにぶつかります。



これがその暗渠。春の多摩川(最終回)2つの橋と未公開編にも登場しました。 玉堤通りから撮影しました。


そして、普通の小さな道となって南下します。昔の地図を見ると、道路脇多摩川側に水路があったようです。

多摩川側からみてみました。


てくてくと進みます。そして、新幹線と在来線をまたぎます。

ここで、品鶴線下丸子三菱重工引込線がまたいでいました。そのような痕跡は今は一切ありません。


 片側がガードレール付き歩道になっています。暗渠らしいといえば暗渠らしいです。しかし、一般的には歩道と車道が段差によって分かれているタイプよりは、暗渠である可能性が低いです。
ここで西に曲がります。つまり、多摩川方向に流路が進みます。


歩道と車道が分かれているタイプ(呑川深沢4丁目支流(仮)2010年7月)


そして、曲がると、おや…!?

まっすぐ進むと、脇にも! 

目の前にも! 先にこちらを紹介します。



 目の前には沼部排水樋管(1972年完成)があります。樋管や水門は大規模河川に小河川・用水路が合流する地点に設置されることが多いです。
 ここで、樋管や水門の役割をおさらいします。通常時は雨水を流したり、大規模河川増水時は水門を閉めて洪水を防止する役割を持っています。また、樋管は小河川を利用したものや、新規で作ったものがあります。沼部排水樋管は新規で作られたもののようです。
 

河原に降りると…

橋のような物体があります。






さて流路は現在の道の南側から暗渠となって南下します(先ほどの写真)。ずいぶんと細いですね。


このあとはジグザグと南下していきます。

 現在、田園調布南。今は住宅になってしまいましたが、ここを水路が多摩川に平行に流れていました。このあと水路は嶺町小学校の脇に沿って流れます。
航空写真から流路を見ると、嶺町小学校の出っ張りがこの水路によるものだったことがわかります。




 ここは嶺町小学校わきの多摩川の土手、この土手のしたに水路がありました。このあと水路はしばらくした後多摩川に合流していました。
この辺りで、六郷用水から流れてきたほかの分水がニアミスしています。その分水は旧嶺町排水樋管に合流していたようです。


ここが、合流地点でした。実はここには、下沼部排水樋管がありました。その樋管は1988年に廃止され、写真からは、その面影がありません。

実は樋管の痕跡が多摩川の河原にあります。ここだけ岸が草地でなく、コンクリートになっているんです。
ちなみに、この樋管ができる前の合流点はもう少し多摩川下流寄りでした。多摩川の土手の中に入る地点は現在と同じだと思われますが、土手内で多摩川と少し並走していました。









https://www.google.com/maps/d/u/0/edit?mid=zPECgdXaZX_g.kLHNfkh9XzMQ&msa=0&hl=ja&brcurrent=3%2C0x60185f7b01bd5057%3A0x88c9f317cacfd3cb%2C0&ie=UTF8&ll=35.58894%2C139.65443&spn=0.09148%2C0.18048&t=m&source=embed
↑今回地図のURL

以上になります。まだいろいろと伏線を拾っていなかったり、書いていないところがありますが、ひとまずは完結です。
続きはまたいつか。

今回の情報:暗渠ポイント:暗渠、開渠、区境、樋管跡、古い航空写真
全長:1.1 km
撮影日:2012年12月2日、2015年10月3日・4日、11月22日


参考文献・引用元
大田区文化財 地図から見る大田区(1)(2)(3)、
大田区文化財 大田区の民具
京浜河川事務所 多摩川
町の風土記 水上市郎平著
大田区地図集成 大田区立郷土資料館著


感謝
京浜河川事務所様
東京都下水道局南部事務所様
大田区立郷土資料館様


雑談:

  • 困っていることがあるのですが、書物によって、すごいときは書物内(地図や研究本)でも六郷用水の分水や席の名前が統一されていないことです。むろん、ネット上でも。(俗名や別名とはおそらく違うと思います)

例:御鷹野圦⇔御鷹野の圦、お鷹の圦:子の神堀⇔子の根堀 

また、同じ時代に書かれた地図でも流路が、同じ河川であっても異なったりしています。例:Aという蛇行した水路が区画整理対象地域に存在する。その区画整理反映した地図BとCがあり、Bには区画整理を反映したと思われる直線なAの水路が書かれ、Cには街並みは区画整理されていても、区画整理前のAの蛇行した水路が書かれている。(わかりにくかったらすみません) こんなかんじものが六郷用水の分水にちらほら存在します。北古川にも…

なにを信じたらよいのでしょうか?


  • 月に0〜2回ほどの更新を予定しています。

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  • この間知ったのですが、『良いお年を』は12月30日までにいうべきフレーズなんだとか。大晦日を乗り越えて新年を迎えましょうという意味なんだそうです。

来年もよろしくお願いいたします。