第2回インドアツアーズ:佐倉市(2)

前回までのあらすじ:印旛沼を探検中。天気も良くなってきたので…


 印旛沼の北側を望みます。もっと写真いっぱいに沼面を写したいのですが、沼が平べったいので少ししか映ってくれません。


上を見上げているのも疲れたので下を見ると…
風車にチューリップ…




-5th 風車を見に行こう



1km先が見えません。


 上を見上げると、こんなところにヘキサが! 県道なんですか、ここ!
 この県道は印旛沼を一周するサイクリングロードで、始点は八千代市(印旛沼西岸)で、終点はJR成田線(我孫子支線)の安食駅周辺です。


桜並木の隙間から見えてきました、オランダ的な風車が。


-6th 風車を間近に

 サイクリングロードを歩いて、風車のある佐倉ふるさと広場に入り、風車の傍まで寄ってみました。


 風車の入り口にはオランダ的な跳ね橋がありました。風車の回りにはお堀があり、オランダ的な雰囲気をより演出しています。また、お堀にはたくさんの黒い鯉が泳いでいて、橋の上にいた老婦人(二人組)は気持ち悪いと言っていました。


中に入れるようなので、お堀にかかる橋を渡って進み、風車内に入ります。




 一階に係のおじさんがただ座っていました。彼は「今日は風が弱いからちょっと残念かもしれないです…」 と言っていました。これを聞いてやっぱりねと思いました。


 玄関の目の前には、大きな水車があります。この水車の回転数は風車の羽の回転数と比例しています。なので、今日みたいに天気の良い日の歯車もちょっと残念です。


 土足を脱いで、スリッパに履き替え、急な階段を登って、2階へ向かいます。途中で親子連れの下りの待避をするほど、さまざまな方が風車を見学に来ていました。


 2階部分です。眼下にはひまわり畑が広がっていました。また、室内は佐倉市とオランダの関係の説明のパネルが置いてあり、楽しく拝読させてもらいました。


外に出ます。

 風車がゆったりと回っています。そして、下から首を曲げてみると大きいですね。でも、首が痛くなりました。


 説明板。オランダ風車の一番の特徴は、風車自体が大型なので大きな出力が得られることです。当然、建築費が高額になってしまいますが、それでも北ヨーロッパに広く普及したそうです。また、屋根(羽根のつけね)は風の方向に動けるので無駄がありません。


風車の前方は一面のひまわりです。


一つの花に注目してみました。それぞれ違います。


 一面のヒマワリ。みんなそっぽを向いています。そして、向こうの方には線路が、この景色は前もどこかで…


線路沿いのヒマワリと言うと、大井町線沿い(尾山台)にもありました。

 そんなこんなで公園を出ます。暑くなってきたのでお茶を買おうと自動販売機を操作したら”いろはす”が出てきました。がっかりです。
 以上で印旛沼編完結です。




-7th 鹿島川沿い



佐倉ふるさと広場の傍の橋から鹿島川と印旛沼の合流端を望みます。


線路沿いをとぼとぼと進み、佐倉市街地に向かいます。


次回は佐倉市街地で… さらに京成の夢の跡が登場。

第2回インドアツアーズ:佐倉市(1)

 実は東成田の前に寄った場所がありました。成田市の手前にある印旛沼です。というのも、東成田にほんの数十分滞在するだけに2000円近くの交通費を使うのがもったいなかったからです。なんだか自分が貧乏性な気がしてなりませんが… そこで京成臼井駅で途中下車し、京成佐倉駅まで、印旛沼沿い、および支流の鹿島川を歩いてみることにしました。印旛沼には汚い、広い、景色がきれいというイメージがありますが… 

 今回と次回は印旛沼の南側をメインに紹介します。




 朝9時14分の押上駅発の快速佐倉行きに乗って、出発。車内は高砂を越えると混み始め、新津田沼を越えると空き始めました。ちなみに、座席はJRや東急よりも狭く、自然状態でも両隣の人と肘がぶつかってしまうほどでしたので、かなり気を使わなければなりませんでした。これが帰りにもあると思うと、ため息ものです。


-1st 臼井駅周辺

佐倉市王子台(臼井)につきました。


 そして、これは京成臼井駅の写真です。駅構内や京成線の中では『京成臼井駅』は『うすい駅』と表示されています。なぜ頭に「京成」を付けているかと言うと、筑豊を走っていた上山田線{廃線(wikiによると)}に臼井駅が存在していたからだそうです。
 現在の天気は曇りで涼しくとても探検日和です。というのも、わざわざ最高気温:28度、最低気温:22度、晴れ時々曇りと予想された7月のある日を丹念に選んだからですが…


住宅街を東に(印旛沼方面に)進んでいきます。辺りには田舎独特の堆肥(?)のようなにおいが立ち込めていました。


更に進んでいくと…


印旛沼に流れるはしご式開渠に出合いました。


 支流から水が流れてきています。この川はとても水の流れが悪く、変色した藻が川底に大量に生えていました。川も谷澤川以上に臭かったです。こんな川が印旛沼に流れていると思うと…


 
-2nd 印旛沼周辺

県道を渡り、しばらく進んでいくと急に辺りが開けました。

道を一歩渡ればニュータウンから農地に大変身。


 沼の傍には釣り堀がありましたが、時間がないのでじっくりと見ないで飛ばしました。また、近くには臼井中継ポンプ場があります。


 この辺りは丘陵地帯の中の広い谷で、印旛沼はこんもりとした丘陵に囲まれていました。その様子はまるで国分寺崖線(ごく一部)のようでした。



 印旛沼に続く道を歩いています。周りの稲はまだ青い穂で、秋になるとこれが黄金色になると思うとなんだか様々なものを感じます。また、田の水は引いてあるところと、無いところが有り、まちまちでした。


 先ほど写真を撮ったところから2分ほど進むと、印旛沼の土手沿いの川が現れました。渡ります。その様子はまるで、皇居前の御堀を渡るよう。なんだかいよいよという感じがします。



-3rd 印旛沼
堤防上のみちに出ました。ここを反時計回りに(南、東方向)に進もうと思いますが、


沼の景色は堤防が高いのでまだまだお預けです。すぐに臨むことができると思っていたのですがちょっと残念…


しばらく進むと、

 次のような看板が沼側の草地にありました。しかし、景色の内容を説明した看板があるのにもかかわらず看板のある場所から沼の景色を臨めない… 看板の意味がない。


早歩きで進むと、右手(西側)に…

 人造池でしょうか。また、この池と印旛沼との間には水門がありました。その池の中の水が勢いよく波打って、水門の鉄板に当たって、たぷんたぷんと音を立てていました。
 実はここ、JFEスチール株式会社東日本製鉄所JFEスチール印旛沼浄水場の一部。名前が長いですが、要するに工場用の浄水場です。水の配水先は京葉工業地域の袖ヶ浦市市原市で、契約者数は25社です。



-4th 見え始める対岸


 先ほどの浄水場の近くから対岸の景色をようやく臨むことができました。予想をはずれて、綺麗でした。印旛沼は地図では小さいけど、大きな沼だと思います。


 さて、そばに身が引き締まるような看板が現れました。ときどきwikiなどで生物関係のページを読むのですが、外来種の影響が眼に見えている以上に深刻であることがよく分かります。ちなみに、一番嫌いな脊椎動物外来種タイワンリスとオオヒキガエルです。



遠くには県立印旛手賀沼自然公園がみえます。
いつの間にか風も弱まり、晴れてきて天気が良くなっていました。


 次回は印旛沼編後篇。ちなみに、印旛沼探検も単発回にしようと思ったのですが、書いている途中に長くなりました。

第1回インドアツアーズ:成田空港のある空間

 初めての出来事がありました。「そういえば、行ってほしいところがあるんだけどさぁ」と突然、知り合いに言われたことです。それに驚きつつ戸惑いましたが、
「え、どこに?」
と間髪いれずに聞き返しました。すぐに「東成田」と返してきました。私には東成田という地名には聞き憶えがあって、一駅分ぐらいの時間かけて頭の中の引き出しから思い出しました。
「それってたしか… 成田空港の近くだよね」と私がいうと、
「うん、そうだよ。でも近くというよりも、内。」と返してきました。
「東成田ってなにがあるの、駅前とかは?」と言うと、
「昔は京成線の終着駅で、さらに空港の玄関だった所で、いつだったけな昭和、平成… どっちだったけ。まあとりあえず、今のルートが出来て、そっちにみんな移ったから*1、今の東成田には何もないよ。駅前は羽田空港の近くの新整備場駅とおんなじ感じだよ」と言われました。
 どうやら、知り合いが言うには、駅構内はまるで京成電鉄の博物館駅、駅前は空港関係の建物ばかりだそうです。
「そこって具体的にどんな感じなの?」と早口で言うと、ゆっくりと「じゃあ、そこについて書かれたブログを読む?」と返してきました。
 その後、知り合いのスマートフォンでブログなどを読みました。そこには、誰もいない駅構内、20年間も時が止まっているホーム、街並みの写真と、長ったらしい文章がありました。

夜8時半を回ったガラガラの副都心線の内はお酒臭いうえ、湿っていて息苦しかったです。

参考までに副都心線の車内の画像。この日はもっとガラガラでした。画像は無料写真素材 東京デート 副都心線より


 家に帰って、半分だけ開いた瞼で、東成田について詳しく調べてみました。すると、東成田駅は東京に近い秘境駅*2として扱われていたりと、見どころの多い駅だということが分かりました。




 今回からは『○○についてシリーズ』の名前を改め、インドアツアーズと改名します。読むと部屋にいるのに外出したような心地になれるような気がするシリーズです。
 

-1st 東成田まで


 東京を朝早くに出て、京成線に乗って、東京からゆられるとこ1時間強、ようやく成田駅構内につきました。東成田に行くのにはこの駅で40分に1本の始発電車「普通 芝山千代田行き」に乗り換えないといけません。
 芝山千代田行きは『2番線、上野、日暮里方面。一部芝山八千田』から発車するそうです。2番線にはホームには大きなトランクを持った人、外国人、喪服を着た人などたくさんの人がいました。
 しばらくすると、「普通 芝山千代田行き」よりも先に『特急上野行き』が入線。そこでホームにいた、ほぼ全ての人がそれに乗りました。残ったのは成田空港関係者、芝山千代田の地元住民、芝山千代田に行きたがる鉄道マニア、そして私だけになってしまい、急に恥ずかしくなってきました。隠れ蓑が無くなった気分です。

 10分ぐらいたつと『普通芝山千代田行き』が入線したので乗ったのですが、わずかな人しか載っていませんでした。発車すると急カーブをまず曲がり、約100km/h(wikiより推定)の弾丸並みのスピードで成田空港のトンネルに突っ込んで行きました。


 発車してから3分ぐらいたったでしょうか、ガタゴトトンとポイントを通過する音が聞こると同時に東成田駅構内につきました。


 東成田駅構内につきました。この日の地上は暑かったのですが、地下(駅構内)はひんやりと湿っていていました。帰りの電車が来るまでの30分弱の時間を使って探検しようと思います。


 駅構内の写真。奥には先ほどのっていた普通芝山千代田行きの赤いライトが見えます。あんな遠くに行ってしまいました…


でた、名物。矢印が差しているものに注目です。





-2nd ホームの探検

さて、誰もいなくなったのを見計らってゴソゴソと探検を始めます。ホームの中ほどを歩いていたら…


 見つけた上り線用のこのエレベーターは、人の動きを感知して動く出す仕組み。下りもあったようですが、蓋をされています。このエレベーターの降り口(階上)の写真を撮ろうと、踏み板まで近づいたら急にガコンと言い出して動き始めました。あまりにも唐突だったのでびっくりして、飛び跳ねつつ後ろに下がってしまいました。


駅構内図。よく見てみると…





-3rd 改札口にて


足音を立てずに階上へ―


『EXIT』の看板の先には改札があります。


 改札の内側(コンコース)の右側に通路の入り口があるのですが、フェンスで蓋をされていましたが、隙間から、えいっ!! 隙間撮影完了です。
奥には更にシャッターがあるようです。


 コンコースの左側には大きなフェンスがあって、駅構内の半分を封鎖しています。なので、封鎖されている部分を隙間から撮影しようと思います。隙間から、えい。



天井が黒光りしています。

物置扱いになっています。

広告スペースがガラガラです。

精算所だったと言われている場所。



 改札付近(コンコース)で撮影すると、階上からチャリンチャリンと音がしました。誰かが入構してきたようです。人に見られたくないので、足音を立てずに階下へ移動しましたが、ずっと階上からチャリンチャリンと音がしていました。
 しばらくすると、人の会話が聞こえてきて、気がとっても楽になったと同時に、恥ずかしくなりました。
 そして、ゴーとうなるような低い音が聞こえてきました。音の正体が地上の飛行機が離陸する際の音かな?と思った瞬間に、電車が到着。この音はトンネルを走る電車の轟音だったのですね。






-4th 帰り路
帰りも狭い電車に揺られて経由地の押上につきました。押上と言えば…


これです。寄ってみました。押上なんて普通に来るところじゃないので。






実は今回、なんと1年と6カ月ぶりの単発回だったんです。


次回は第2回インドアツアーズ佐倉市編。お城、城下町、沼、谷戸や残念だった風車が出できます。
あと、前からチラつかせていた六郷用水下丸子・沼部地区の暗渠編も今秋冬完結の予定です。

*1:1991年(平成3年)に現ルートが完成

*2:私はそうとは思いませんが

近況報告

 暦の上ではすでに秋ですが、猛暑厳しい今日この頃は何かと新しいことをなんだかしたくなります。そういうわけで、示山橋の簡単な記事一覧のホームページを作ってみました。使ったものはメモ帳とFC2のサーバーで、様々なサイトを参考にさせてもらいました。

                    示山橋記事一覧

よろしくお願い致します。 

 これを作ろうと思った理由は単純明快で、はてなダイアリーではできないマウスオーバーやJavaScriptを使いたくなったからです。また、IEでご覧になるのは非推奨です。と言うのも、テーブルの配置がおかしくなってしまうからです。ちなみに、それには次回予告が載っています。
 これからは、見辛い、使い辛いところがあるのでどんどん直して&発展させていこうと思います。








 先日、多摩川の花火大会に行ってきました。この日はなぜか忘れ物が多く、新聞紙(レジャーシート)、三脚、スペックの高いカメラの充電を忘れてしまい、散々でした。でも、それなりの取れ高はあるような気がします。





 知り合いと二人で谷澤川の水門前にスタンバイしました。こんな場所でも5時台からものすごい人出で、警察の方々が土手の上の玉堤通りで来場者の整理をしていました。また、風なびく青草の土手の上に赤く光るパトカーが止まっていて、なんだか北海道ぽいねという話題になりました。

 花火は東京湾と外見上(ホームページの紹介)は同規模でした。しかし多摩川の花火大会は、小さめの玉が多く、それらを合わせた乱れ打ちが多かったです。なので、大きな玉の一発ド―ンが思ったよりも少なくて少ししょんぼりしました。



以上近況報告を簡単にまとめました。

御岳山について(3)都道と登山道の話

今までの流れを一度まとめてみます。

御岳山について(1)集落と都道の話
御岳山について(2)町と鍾乳洞の案内看板の話
御岳山について(特)三ツ合鍾乳洞



 5月のある日に御岳山をあきる野市側から登ろうと思いました。あきる野市の十里木という場所から北に進み、御岳山を目指している最中です。途中で三ツ合鍾乳洞や養沢川などに寄り道しました。今回は、御岳山のふもとの上養沢という集落からスタートします。





 前回の最後の写真の奥の方に写っていた養沢神社。この神社の脇の方には『世界人類が平和でありますように』と書かれた木製の木の棒がありました。また、ここが御岳山山頂までの最後から2番目のトイレなので注意してください。



 この神社の説明です。日天神社は通った道の傍にあったようですが気がつきませんでした。意外とこの神社は歴史が浅いんですね。
 ちなみに、明治や大正には神社の統合が流行って数々の鎮守の森が消えました。明治時代に生きた生物学者南方熊楠博士は、鎮守の森が育む貴重な自然が消滅してしまうと主張して、この運動に反対したそうです。
 養沢には五日市町立小宮小学校養沢分校がありましたが、その分校は1965年に閉校してしまいました。



 神社の横の分岐には大岳鍾乳洞の案内看板がありました。この鍾乳洞は養沢地区にある三つの鍾乳洞の中で一番規模が大きいようです。




しばらく行くと、バスの操車場が見えてきました。

 バスの終点上養沢。そこには、先ほど追い越して行ったピンクのバスが止まっていました。また、その運転手さんは車外でのんびりとなさっていました。
 冒頭から出ている大きなパネルの地図はここにあります。他にも関東ふれあいの道の道しるべやその案内板が設置してあります。
地図を見ると、そろそろ登山道が始まるような気がします。




 しだいに道が細くなってきました。下山するタイミングを見極めようと思い、御岳山の山岳地図を見て所要時間を計算しました。その結果、御岳駅には約3時間で着くことが分かりました。この時は14時26分なので、ちょうど17時半に着くかもしれません。



 途中こんなお地蔵さまたちが。しかし、うかっりして観察するのを忘れてしまいました。そのとき、上を見上げるといつの間にか雲が増えていることに気がつきました。
 




 これは、1847年(弘化4年)に造られたの「御嶽山道供養塔」です。これにより、この都道は江戸時代からの御岳山の登山ルートだということが分かりました。意外と由緒ある道なんですね。
 




 細い道は蛇行する養沢川に沿って走っています。「この曲がりが地図でのあの曲がりかな」と思いながら進みます。

 結構奥まで来ました。この写真の奥には林業従事者の方が作業なさっていました。また、そばには廃キャンプ場がありました。

多摩地区の林業について



東京都森林事務所 事業概要平成24年版より引用・一部編集
 多摩地域は、気候、土壌などの立地条件がスギ・ヒノキの生育に適しており、古くから「青梅林業」として知られ、主に柱材や足場丸太材の生産を行ってきました。今では、スギ・ヒノキ等人工林の面積は約 30,677haにのぼり、人工林率は全国平均の 41%を大きく上回る 60%となっています。その大半は昭和 30〜40 年代に植えられたもので、木材としての利用はこれからという段階です。
 しかし、外材輸入の増加や木材価格の長期低迷が続く中、林業の採算性は悪化の一途をたどり、林業従事者の減少及び高齢化が進むなど、林業の経営環境は年々厳しさを増してきました。
 こうした状況の中で、木材の生産、植林など林業生産活動が停滞していることから、人工林の間伐等の手入れ不足や放置化が進み、荒廃が懸念されています。
 中略
 東京都では、平成21年3月に「森づくり推進プラン」を策定し、豊かな都民生活に貢献する森林の整備と林業の振興及び丘陵地の緑の保全と緑に親しむ取組を重点的に進めています。

その取り組みのひとつで森林計画制度という大きなプロジェクトがあります。
 森林計画制度は、木材等林産物の需給の安定と森林の有する公益的機能の維持増進を図るため、森林の整備の方向を明らかにし、森林所有者等の森林施業上の指針とするものです。
 この制度の下では、都道府県知事は、農林水産大臣のたてる全国森林計画に即して地域森林計画をたて、市町村は、地域森林計画との適合を図りながら市町村森林整備計画をたてることになっています。
森林事務所は、多摩地域森林計画の区域の全域を所管しており、現在の計画期間は、平成23年4月1日から平成33年3月31日までです。
 なお、あきる野市の対象区域の広さは4412.82ha、日の出町は1904.75haです。ちなみに、あきる野市の面積は7734ha,日の出町は2808haです。


 ちなみに、都心のソフトウエア開発会社社員だった佐野千草さんは、青梅市に移り住み、奥多摩町で昨年11月から初の奥多摩の森林再生の現場作業員として働いているそうです。


 いつ対岸(御岳山側)に渡ればよいのか探っているのですが、橋は廃橋しか現れません。「どこかで橋見落としたにちがいない」と思い、しだいに不安になってきました。
 一応確認のために麓の上養沢操車場まで戻ってみることにしました。戻る道の途中で、北に延びている小道を幾つか発見しました。どこに着くのか確認してみましたが、どれも袋小路でした。
 10分ほどすると、もう来ることはないと思っていた養沢の操車場につきました。そこにいたピンクのバスは、いつの間にか出発していました。
 どこかで道を間違えたはずなのです。間違えた場所を探すために、しばらくの間大きな地図と案内板の前で悩んだり考えたりしました。とりあえず、先ほどの地点のさらに先まで進んでみようと思いました。


 その時、ハイカー風のおじさんが都道の奥の方へと向かって歩いるのが見えました。ついて行ったら何かが分かるかもしれないと思い、後を追ってみることにしました。



そのおじさんは私が引き返した地点よりもさらに奥に進みました。道は突然広くなったり狭くなったりと情緒不安定です。



戻ってしまったポイントから3分ぐらい歩くと、青い看板が見えてきました。


 来ました、御岳山の入り口に。ついに中盤戦が始まります。

 どうやら、私は地図を読み違えていたようです。なぜこんな事になったのでしょうか。私は上養沢の操車場の位置を実際よりも御岳山にかなり近いところにあると思い込んでいましたからです。実際は、操車場とここの間には1kmほどの距離があります。出かける前に印刷したGoogleマップに上養沢のバス停の位置を書きこんでおくべきでした。そうすればこうならなかったでしょう。 
 



気持ちを切り替えます。そして、右(北)を見ると…

石碑がありました。

更に奥を見ると…

登山道が始まっています。この時15時7分。次回は養沢鍾乳洞や日の出山の脇を特集します。

御岳山について(特)三ツ合鍾乳洞

今までのあらすじ:御岳山をあきる野市側から登るついでに三ツ合鍾乳洞に寄ることにしました。



 三ツ合鍾乳洞に続く林道三ツ合線を15分くらい歩いていると、奥の方に駐車場のようなものが見えてきました。そろそろゴールのようです。早歩きで行くと鍾乳洞の駐車場に着きました。この時13時37分。
 三ツ合鍾乳洞は前回書いたように養沢地区の3つの鍾乳洞の中で最も発見が遅く、新発見扱いになっています*1。ちなみに、二畳紀(恐竜で有名な三畳紀の1コ前)のフズリナ、ウミユリなどの化石が発見されたそうです。ウミユリは過去の生き物と思われがちですが、現在も深海で生きています。



駐車場にて



自分の中ではちょっとしたどんでん返しです。


 この階段を登れば鍾乳洞です。上に見える建物は売店を兼ねた受け付けです。ここで入洞料400円を払います。小さい子はタダですが、詳しい料金の設定は忘れました。ちなみに、この三ツ合鍾乳洞を昔に特集したサイトさんを見ると入洞料が大人350円と紹介されています。おそらく値上げをしたのでしょう。
 鍾乳洞入口前には私のような独り、2,3組の家族連れや老夫婦がいました。そのほとんどは車で遠くから来ているようでした。





チケットを買って施設の中に入ります。


【図1】
 洞内を簡単に表した図がありました。夢の殿堂、竜宮の亀、オーロラ天井、ロマンス坂など神秘的でファンタジックな名前がつけられています。また、入り口は出口のほぼ真下にあるのでこの図を見る時は注意してください。


 ついに、入洞&探検します! 入口は狭そうですが、中はきっと広くて涼しいでしょう。この時、私以外にも何人か洞内で散策を始めようとしている人たちがいました。


 鍾乳洞と言えば、↑のように石筍や鍾乳石が神秘的に天井からぶら下がっているのを、ついついイメージしちゃいます。きっと、ここも洞内はこんな感じなのでしょう、入洞後が楽しみです!(足成のフリー画像より)
 そもそも鍾乳洞とは、石灰岩が地表水や地下水などによって侵食されてできた洞窟のことです。ちなみに、カルシウムは金属です。




 10分弱の地底の探検を終えると出口に着きました。洞内は私のイメージを良くも悪くも裏切りました。この鍾乳洞は細く狭い横穴で、所々に変わった形の鍾乳石や石筍がある程度でしたが、洞内はまるでアスレチックのように、狭いトンネルがグネグネしている上、急坂や急な階段があったりして、探検するのがかなり楽しかったです!
 また、照明も適度に整備されていて鍾乳石を見やすかったです。ちょうど、見返しの大柱を眺めている時に、自称運動神経の悪い娘さんを連れた家族の通過待ちをしました。その家族連れにとってこの鍾乳洞の散策は大変そうでした。ここは、稲城の弁天洞窟と大違い過ぎます。
 この写真を撮っている時に…

こんな看板と、

こんな坂道が目に入りました。
これは挑戦状ですね、しかも困難の先に絶景が待っているあのパターン。




 奥の院 天の岩戸を目指して速めに登ります。途中までの登りが優しかったので「何だ、あの看板はただ脅しじゃないか」と思いましたが…



 あの看板はうそつきじゃなかったです。道も狭く、石がごろごろしていて、斜面に無理に道を作った感がものすごくします。疑ってすみませんでした。登りの途中で、例の3人の家族連れとすれ違いましたが、通過待ちをするのに場所がなく、苦労しました。また、相変わらずその娘さんが大変そうでした。




登り始めて5分弱、ついに、奥の院 天の岩戸につきました。



 祠は見えました。足元には段差があります。階段を降て、祠に接近しました。その時、「露出した鍾乳石はどこかな?」と思い上を見上げると…


 祠の上に鍾乳石がありました。壁が自体が独特な模様をした鍾乳石で、洞内もこんな感じでした。また、天井には石灰岩の浸食によってできたと思われる穴がぽっかり空いています。


帰ります。奥に見える建物は受付です。



 「実は」と言うほどでもないですがここは「撮影禁止」。洞内は撮影禁止のようで、ルールを破っている人もいました。撮影禁止の理由は、フラッシュの光に含まれている紫外線などによる鍾乳石の劣化の防止がメインです。ほかにも、暗所での突然な発光によって他の観光客が驚くことの防止もあります。フラッシュを使っていませんでしたが、やってしまったことはやってしまったことです。


 急坂を走って帰り、三ツ合鍾乳洞から都道に戻ります.


 前回に出てきた分岐を左に曲がります。しばらく行くと、赤い橋と分岐と看板が見えました。奥には鳥居が見えます。もうそろそろで御岳山・日の出山の登山口に着きます。この時14時15分。
 次回はこの神社からスタート、さらにこの道の歴史も判明します。

*1:発見からすでに30年以上経過しているらしいのですが…

御岳山について(2)町と鍾乳洞の案内看板の話

 前回までのあらすじ:とつぜん御岳山に登りたくなって、御岳山の南側のあきる野市に行きました。現在御岳山に登るために都道を北上中です。





 旧小宮小学校の脇に来ました。学校ではヤマメの校内ふ化や放流といった清流を活用した活動がありました。小学生の時にそのような体験ができるのはとてもうらやましいです。ちなみにこの写真は都道から撮りました。

あきる野市「市長への手紙」の公開【産業振興】観光
「(10)十里木・長岳地区の温浴施設建設に反対します」の回答(2005年度)より一部抜粋
 十里木・長岳・養沢の各地区、いわゆる戸倉、小宮地区は、市内で最も過疎化が進んでいる地区であり、子どもも年々減り続け、小学校の統合や複式学級の問題もでています。過疎化傾向にあるこれらの地区の活性化と住民参画によるまちづくりを推進するため、本事業を展開している意義は大変重要であると考えています。
 ちなみに、ここでの本事業とは十里木・長岳地区の温浴施設建設→十里木・長岳周辺地域観光拠点整備事業のことです。つまり秋川渓谷瀬音の湯(現在営業中)のことです。あの温泉施設は過疎化対策の一つのようです。市長の手紙には様々な市民からの意見が載っていて、この事業は採算が取れないから建設しないでくれという意見が多かったです。

ちなみに、JAあきがわより一部抜粋。
 JAあきがわの管内となる区域は生産緑地及び市街化区域、調整区域、農振区域、山間区域と区別され、それぞれに生産条件、経営規模が異なり地域ごとに特色ある農業環境となっております。また平成7年9月、旧秋川市と旧五日市町との合併がなされ「あきる野市」が誕生しました。このことにより急速に都市化が進み、一方山間部では老齢化、過疎化が進むといった状況にあります。

 この上の二つの文章より、あきる野市の人口や世帯数は年々増加しているようですが、それは主に東部だけでのことだと分かりました。
 




都道201号十里木御嶽停車場線を北上します。長い名前です… 御岳山までまだ距離があります。

より大きな地図で 御岳山に登ろう を表示

 秋川国際マス釣り場が見えてきました。養沢川を利用しています。この施設では釣りはもちろんのこと、バーベキューもできるんだそうです。専用駐車場には普通車200台、大型バスは10台も収容できるのだとか。



 一枚前の写真の撮影地点から少し進んで、振り返ると… 眼下には大繁盛している釣り場が見えます。道路との高低差がそこそこあります。


 急に片側一車線が始まります。ちなみに、この写真の中央が若干白くなっていますが、これはバーベキューの煙によるものです。お昼時なだけあります。



この看板は珍しいです。





歩道の脇に川に降りる石でできた階段を見つけたので、ちょっと養沢川の河原に降りてみました。


 目の前には大きな岩があり、そばには釣り人が数人いました。また、河原には大小さまざまな石や岩が転がっていて足もとが非常に悪いです。
 そのとき、足元の重そうな漬物石サイズの石に気付かずに、がっんと左足のつま先で蹴ってしまいました…。この地面にこけたら大惨事でした。



石段を上がって道路に戻ります。

 かなり段差が高いうえ、階段の段が手前に傾いているのでとても登りづらいです。数段上ったときに左足中指に違和感を覚えました。





 早歩きで都道を北上して御岳山に向かいます。途中、いくつかの集落を通りましたが、ほとんど人気がなくがありません。また、目を惹くものが少なかったです。



 狭さくな山道なだけあります。歩いている途中に落石に遭ったら悲劇です。ちなみに、高さ5mから物体が落ちてくると、約10m/s(時速36km)で落ちてきます。怖いですね。


 こんな電光掲示板がありました。この画像を最初マウスオーバーで表示しようと思ったのですが、無理だったので簡単なGIFアニメを使いました。前々からマウスオーバーを試しに使っていたのですがなかなかうまくいきませんでした。


 ピンクのバスが戻ってきました。このバスの終点は御岳山や日の出山の登山口のすぐそばの上養沢です。ちなみに、武蔵五日市駅から終点まで470円、所要時間は30分ほどです。



 桜並木の区間もあります。ちなみに、この辺りはトーマスブレークモア財団が運営する釣り場になっていて、かなりの距離がこの施設の物となっています。また、養沢川の水量が少なく、川面が近くなりした。





どんどん御岳山へと進みます。養沢に、御岳山に近づくほど山が険しくなっていきます。

 3つの鍾乳洞のトップバッター三ツ合鍾乳洞の看板が見えます。上養沢には南から順に三ツ合鍾乳洞、大岳鍾乳洞、養沢鍾乳洞があります。ちなみに、養沢鍾乳洞が一番古くに発見されました。


 カーブの先に分岐点と鍾乳洞の案内看板たちが見えてきました。「せっかくだし、時間に60分ほど余裕があるんだから、3つの内のどれかの鍾乳洞に寄ってみよう」と思い、地図(Googlemapを印刷したもの)を広げて、現在位置とそれぞれの鍾乳洞の位置を確認しました。
 その結果、今いるところからは三ツ合鍾乳洞が一番近いと分かりました。また、養沢鍾乳洞がちょうど御岳山を登るハイキングコース沿いにあることも分かりました。
 なので、まず三ツ合鍾乳洞に寄ることにしました。







案内看板通りに先ほどのカーブを左折します。


三ツ合林道が始まりました。この林道の終点はもちろん三ツ合鍾乳洞です。上り坂ですが、つい早歩きになります。


警告と励まし、ありがとうございます! というわけで次回は三ツ合鍾乳洞に行きます。