根知谷紀行(2)

 以前(5月31日)の続きです。前回は探検をした場所を諸事情の関係で伏せていました。場所は糸魚川大糸線沿線の根知谷でした。今回は、かやぶき屋根の塩の道資料館(糸魚川市大字山口552)を特集します。内容が冬向けなので今の季節に公開します。

 

霧立ち込める根知谷。かまぼこのようなものは雪国用の車庫です。

 塩の道資料館内の茶の間です。夏なのに毎日、囲炉裏で薪を焚いていました。
なぜ夏にもかかわらず、薪を焚いているかというと、囲炉裏からの煙で萱をよい状態に保たせるためだそうです。いわばカヤの燻製です。
 また、この部屋には懐かしの家具や小物が大量に置いてありました。印象的だったのは巻いても途中で止まってしまう振り子時計でした。
ほかにも、サザエさんの漫画に出てきたのとそっくりなはだか電球もありました。
 ほとんどが外国人の方のサインで埋め尽くされていた来訪者ノートがちゃぶ台の上にありました。

3階(屋根裏つまり、たか)では、養蚕が行われていました。

階下を眺めます。

 2.5階の梁の位置が低いです。
 ここには、塩の道と呼ばれる日本海から塩尻まで結ばれている道を通行していた、ボッカと呼ばれる行商人や牛方が使っていた生活用品などがありました。それらはすべて706点あり、すべて寄付です。また、ボッカの背負い運搬用具(ショイコ、俵、セナコウチなど)だけでも158点あります。
 パンフレットによると、ショイコ(背中梯子)は高さ70cmで、木枠が長方形よりも圧力に強い台形で、木材はイタカエデやセンなどの樫木を使用していたと書いてありました。これらの工夫により、山間部の長距離運搬が楽になったそうです。



管理人のおばあさん、取材協力ありがとうございました。


周辺をぶらぶらしました。

根知川、上町屋橋付近。上流を望む。

同じ地点で下流を望む。


執筆中に背中梯子が『背中は死語』と誤変換されてしまいました…





前回の記事{根知谷紀行(1)}の内容を近日、大幅改稿します。