和泉・猪方計画〜猪方の名無しの橋〜

 狛江市の都立狛江高校前から流れが始まって、猪方付近から多摩川の土手の中を流れ、猪方排水樋管付近で多摩川に合流している川もしくは用水路がありました。狛江一帯の田畑の排水を集めて流れていたのでしょう。これを猪方川(仮)と名付けます。この川跡は六郷用水図に載っています。上流側の痕跡は残っていますが、下流側の痕跡はほとんどのっこっていません。恐らく、多摩川の洪水(狛江水害)の後の改修工事で痕跡が消えてのでしょう。



 前回の最後の写真で紹介した暗渠。ここで第四のミステイク。実は世田谷通りの対岸(西側・上流側)にも暗渠がありますが、何故か写真を撮りませんでした。その上、道路建設で上流端の痕跡がきれいさっぱりに消えました。一歩遅かった…

猪方川の暗渠です(猪方3-25)。この後ろにはうねっとした道路があります。足元に目をやると…

1928年3月に完成した名無しの橋の親柱が。ここから暗渠の区間が再開します。

 橋の反対側(下流側)。アパートの裏の暗渠。
雑学ですが、英語の意味ではマンションは、豪邸・お屋敷を指します。アパートは日本語で言うマンションを指します。

 猪方駒井商店街内の暗渠歩道。シャッターが多くさびれています。
この先痕跡が無くなりますが、猪方排水樋管が、下流端の痕跡だと思われます。





猪方川の終点、猪方排水樋管まで多摩川の土手を歩きます。狛江水害の元凶の二ヶ領宿河原堰が見えます。

 蝋梅の花
これに少しだけ似た黄梅は実は梅の仲間ではなくモクセイ科なのです。モクセイ科には金木犀や柊などが含まれています。

 冬の多摩川。日曜の夕方なので運動や犬の散歩の人が忙しなく行きかっていました。ここで第五のミステイク。
 1974年9月に、台風16号により堤防が決壊したため狛江市の民家19戸が流出した狛江水害の石碑「多摩川決壊の碑」を撮りそびれました。なお、後からそのことに気づき、石碑が映りこんでいる写真を探し石碑を青い枠で囲みました。ちなみに、この石碑は白い三角柱です。狛江水害のことは多摩川環境学習プログラムにも詳しく書いてあります。
 

 時計を見ると、もうこんな時間(15:58)に。日没前に二子玉川に到着する予定なのに、しかも町田川も探検する予定なのに… 前半で時間をかけ過ぎた…。しかも、軽症の外反母趾の左の親指が痛み出してきた…。

 猪方排水樋管。ここで多摩川に合流していました。
今は下水道の雨水幹線の多摩川への放流口として使われています。

河原に降りて撮影。右側には猪方川(仮)旧水路や湧水を活用したと思われる親水公園があります。

次回に続く。この時日没まであと63分…






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導入 
第1回 都道114号線探検part1,part2  
第2回 狛江分水(仮)part1,part2
第3回 都道114号線新道
第4回 猪方の名無しの橋
第5回 町田川
第6回 町田川から野川へ