満願寺の流れ再調査編

 去年特集した満願寺の流れを再調査しました。この川は、lotus62さん猫またぎさん世田谷の川探検隊さんなどが特集なさっています。参考に等々力周辺の地形図を貼ります。
-谷戸の下池
大東京1:20000地形図(1934年)で玉川等々力町3丁目136番に谷戸の下池を確認しました。池の形はひょうたん型でした。

てくたくブックの石碑です。
また、この地図には満願寺の流れを斜めに横断する新道の計画が描かれていました。今はないことから、おそらく工事は中断されたのでしょう。

-逆川満願寺の流れ
 毎回お世話になっている『地図で見る大田区』に載っている、荏原郡全図(明治19年)に描かれている満願寺の流れは逆川とつながっています。著作権の関係でその地図は載せることができないので、ぜひ実物を図書館で見てください。

 この地図からわかることは満願寺の流れが満願寺周辺で二つの水路に分水され、等々力駅周辺で合流していることです。また、駅前の踏切を渡る水路(これから西水路と名付けます)は、目黒通りの原型に沿って流れた後、用賀中町通りの原型に沿って逆川と合流しています。



この水路を下流から西水路の紹介をします。

逆川の合流口。

用賀中町通りに沿って流れていました。

右折して目黒通りの原型に沿って流れていました。

昔からある道でよく見かけるタイプの祠。

工事跡。

この先分流していたと思われます。



 東側の水路つまり、逆川満願寺の流れは世田谷の川探検隊さんが以前投稿なさっていた、ふた暗渠の痕跡以北の水路が消失しました。その上流の流路は不明ですが、怪しい道がいくつかあります。

 製作者・製作年不明の尾山台・玉堤地区中心の地図です。おそらく、今はないパン工場・スバルの中古車センター(現宅急便の営業所)があることから、20世紀後半の地図だと思われます。また、大井町線沿いの暗渠や、写真の範囲外ですが以前紹介した九品仏支流が開渠の表示になっています。
 1970年代初期に住んでいた二人の知人に大井町線尾山台・等々力間の暗渠について話を聞いたところ、当時は開渠でよくボールを落とした。水はチョロッと流れていた。世田谷の川探検隊さんが以前投稿なさっていた、ふた暗渠も開渠でたくさんの水が流れていたと話していました。もう一人は、逆川のふた暗渠周辺一帯は当時石材店の荷物置き場だったが、土地を売って駐車場やマンションを建てたと言っていました。

頑張って雨の中屈んで、フラッシュをたいて、大井町線沿いのふた暗渠の中を撮りました。形状ははしご式開渠です。

世田谷の川探検隊さんが以前投稿なさっていた、ふた暗渠の中を撮りました。左側の護岸には暗渠の合流口の痕跡があります。






次回、満願寺の流れ再調査編(2)

現在、多摩川の支流である宝来川(仮名)を調査中 来年に公開します。