今、戦争について考える。神田川と地下壕(2)

 前回の続きです。松代大本営跡に行ってきました。松代象山地下壕の大まかな説明はwikiで。


 終戦から66年経ちました。戦争経験者がどんどん減ってきています。
 私のおじいさんのうち一人(84歳)は飛行兵として奈良の飛行場で訓練中に終戦を迎え、もう一人のおじいさん(79歳)は学徒動員でこどもの国(神奈川県)にあった兵器工場で働いていました。二人は人には話せないような体験をしているようで、そのことをまだ誰にも話していません。

 
地下壕の構造はこうなっています。坑道は、蹄型になっています。
高さ2.7m、横幅4m。




 ここを訪問した日は平日にもかかわらず、どこかの中学校の合宿一行や、家族ずれで賑わっていました。
公開されている地下壕は短い距離だけで、それ以外の通路は全て金網で閉鎖されています。
地下壕はかなり涼しくて、湿った外気によって生じた結露がみっちり天井についていました。

地下壕への入り口。ヘルメット着用が義務です。

入口を振り返って撮影。この辺りは下り坂です。
このトンネルは素掘りで、壁面はコンクリで塗り固められていません。



当時最新技術の掘削の方法。

この鉄棒のロッドから圧縮空気を岩盤の中に送っていました。
この岩盤に刺さっている鉄のロッドは、抜こうとしても抜けないだそうです。

地下壕内部。おくのほうに神社の鳥居のような補強鉄骨が見えます。




落盤した坑道。

地下壕案内図。



次回に続く。